「玄徳、軍師を識る」の巻 ③   解説(右クリックして保存)

前回の続きです。いつまでたっても玄徳さんの話が始まりませんが、この調子で行きますw

前回までは曹操軍の主な軍師たちを紹介しました。次は「呉」に簡単に触れていきます。呉は孫権が「江南」あるいは「江東」と呼ばれる地域(大雑把に長江を境にした中国南東部一帯)に建国しました。厳密には呉という国が成立するのは222年なのですが、ここでは「後に呉となる」ということで便宜上「呉」の呼称を使っていきます。「魏」「蜀」もこれに準ずるものとします。

三国志を題材にした作品は小説や漫画、アニメなどジャンルを問わず無数にありますが、その大半が曹操さんと玄徳さんの対立を軸に描かれてきたと思います。NHK人形劇の三国志などは子供にも分かり易いよう、「覇道」(武力と智謀)による支配を求める曹操さんと、「王道」(仁徳に基づく支配)を求める玄徳さんのイデオロギー対立が明確に描かれていました。自分は読んだことはありませんが、最近では曹操さんを主人公にした漫画が大人気な程です。これは別の見方をすると、呉は脇役しか与えられてこなかった事を意味します。

実際は呉の見せ場はそれなりにあり、赤壁の戦いは言うまでも無く、後の玄徳の蜀との攻防では呉軍の英雄たちが大活躍します。しかし、「それ以外の時は何してたの???」感はどうしてもぬぐえず、それは特に君主である孫権にモロに当てはまります。

ところがこのドラマでは違い、「魏」「呉」「蜀」がほぼ平等同格に扱われています。君主である孫権はもちろんのこと、彼の家族や部下達の物語が相当深く掘り下げられています。私の知る限りでは呉がこのような扱いを受けるのは異例なのではないでしょうか。



左が初登場時の孫権さん。反董卓連合軍に父親の孫堅(中)が参加した際、兄の孫策(右)と共に従軍します。この時点で非凡な聡明さと勇敢さを兼ね備えており、曹操すら瞠目させるほとです。父と兄が相次いで非業の死を遂げるため、19歳の若さで呉の主となります。

ところで反董卓連合軍は董卓を討ち取るという目的を果たせぬまま、諸侯たちが互いに足を引っ張り合う形で瓦解します。曹操、玄徳、孫堅の3人は半ば連合軍に(特に袁紹と袁術に対して)愛想を尽かす形で去ることになりますが、その直前、別れを惜しむかのように3名が一堂に会します。短い期間でしたが、互いの力量を認め合った戦友同士。そして次に会う時は敵かもしれないのです。

曹操
Who knows when we will meet again, after we part today. And if we meet again, who knows if we will be friends or foes.

孫堅
No matter what happens from now on, I will not treat either of you as an enemy.

玄徳
Anyone loyal to the Han is a friend of mine. Anyone who is a traitor, regardless of who he is, will be my enemy. What a pity. Eighteen heroes and lords gathered for a noble purpose, and so soon they broke apart. And hereafter the Han court shall see turmoil without pause and without end.

曹操
Xuande, there is a flaw in what you said. To be honest, among the 18 lords, only Sun Wentai, you, and I can be called heroes. The rest of them are no heroes, but ruthless men of ambition. By my reckoning, it won't take long before they start fighting each other to the death. Therefore, our choosing to leave as soon as we could is the best course of action.

直後、玄徳が関羽と張飛を引き連れて去って行きます。そして残された曹操と孫堅の間であの「玉璽」を巡って興味深い会話がなされます。「袁術死す!」の回で解説した、袁術を破滅に導いたあの玉璽です。袁術の手に渡る前、玉璽は孫堅の手中にありました。状況を大雑把に説明すると、董卓軍が都から献帝を連れて逃げ出した後、瓦礫となった宮殿で孫堅の部下が玉璽を発見(献帝が置き去りにした)、これを孫堅に献上します。孫堅はこれを天命と捉え、自ら皇帝となる野望を抱きます。玉璽を手に入れた事は隠していたつもりだったのですが、兵士達の間でうわさとなり、巡り巡って曹操さんの耳にも入っていました。曹操さんは非難するどころか、むしろ孫堅の身を案じて忠告します。



I'd like to ask you something. You may choose not to answer if it is inconvenient. Did you really obtain the Imperial Seal? Please forgive me for being blunt, but in my opinion, this thing does not bring good fortune, but harm. Yuan Shu and Yuan Shao both have designs on the throne. They both lust after this thing. What you obtained is just a piece of rock. But with that, you may gain enemies all over the country.

これに対し、孫堅は yes とも no とも答えずにやり過ごしつつ、「実は息子の孫権にも同じことを忠告された」と打ち明けます。曹操さん、幼い孫権の洞察に感銘を受けながらも、将来彼が強敵となることを予感します。なお、曹操と孫権の不安は的中。この直後、孫堅は玉璽を狙う袁術の罠にかかって命を落とします。

話を戻します。既に述べた通り、ドラマでは呉に関しても詳しく描かれているのですが、魏と蜀の物語が戦いを中心に描かれているのに対し、呉の物語は戦闘場面の欠如を補うためか、人間ドラマの比重がかなり大きく、正直(個人的には)どうでもいいようなエピソードが多かったりします。一例を挙げると、孫権の兄である孫策が軍師の周瑜と乗馬を楽しみながら竹林を散策中、美しい琴の音色に誘われ、「二喬」(にきょう:絶世の美女姉妹とされる)と出会って彼女らを見初め、それぞれ姉と妹を嫁に迎える、といったエピソードが長々と語られます。それに加え、呉の人物は皆性格が真面目で破天荒な人物も少ないため、全体的な空気が息苦しく、面白い会話や気の利いたセリフがありません。

そんな訳で呉に関わるエピソードは本来の趣旨である「英語の勉強」の役には立ちません。主な軍師だけをサッと紹介して次に進みたいと思います。

② 孫権軍

活躍時期の時系列順に「周瑜」「魯粛」「呂蒙」「陸遜」の4人になります。いずれも三国志ファンなら知らない人はいないでしょう。なお、呉では軍の最高司令官は「大都督」という肩書で呼ばれています。この呼称は私の知る限りでは魏や蜀では用いられていません。呉独自の役職なのでしょうか?

周瑜(しゅうゆ)


言わずもがな、呂布や関羽とすら比肩する三国志の英雄中の英雄です。軍師というよりは将軍に近く、実際「周瑜将軍」や「大都督殿」と呼ばれることが多いです。赤壁の戦いでは呉を大勝利に導くなど、孫権の初期の国造りを献身的に支えます。史実では孫策と仲が良かったらしく、ドラマでも2人の友情が掘り下げられています。演義を原作とした創作物では激しい気性の持ち主として描かれることが多いようです。また、将来呉に禍をもたらすとして事ある毎に孔明の殺害を企てながら、毎回まんまと出し抜かれるという少々間抜けな姿が印象的に描かれ、孔明の引き立て役にされてしまっています。

魯粛(ろしゅく)


曹操さんが袁紹を破って中原を支配した後、次に狙ったのが孫権の江東です。これが後の「赤壁の戦い」に繋がるわけですが、危機感を覚えた孫権は曹操軍と何度も戦ったことのある玄徳から曹操軍の情報を得るため、1人の特使を派遣します。それが魯粛でした。周瑜の親友または戦友として描かれるほか、孔明とも親交を深めるため、度々両者の板挟みになってしまいます。気性の激しい周瑜とは対照的に冷静で穏やかな人物としても描かれていますが、むしろそれが彼を手強い交渉相手にしており、蜀との領土問題の話し合い(※)の席では孔明さえも手こずらせます。その一方、「蜀と手を結び、魏と対抗するのが呉にとっての最善策」という強い信念の持ち主であり、蜀との同盟関係の維持に死ぬまで腐心します。ドラマでは重病の身でありながら関羽と一対一の領土交渉にあたり、彼をして「真の英雄」(関羽は呉を完全に侮っており、孫権の娘を「犬の子」呼ばわりさえしていた)と言わしめます。

※孫権と玄徳は「赤壁の戦い」では同盟したが、その後「荊州」(赤壁後、玄徳が半ばどさくさに紛れる形で支配)の領有を巡って対立。特に孫権側は赤壁で多くの犠牲を払ったため、漁夫の利を得る形となった玄徳側に恨みを抱く者も多く、玄徳に荊州を自分達に「返却」するよう求めた。これが後々まで蜀と呉の間に大きな禍根を残すことになる。

呂蒙(りょもう)
 

魯粛の死後、大都督を継ぎます。魯粛とは対照的に反蜀の急先鋒であり、数々の策略で関羽を破り、荊州(厳密には南部)を奪回します。ドラマでは自分を侮る関羽に対して個人的な恨みを抱いており、それが彼の行動の原動力となっているような描写がなされています。演義では荊州奪回後、関羽の呪いにより全身から血を噴き出させて死ぬという凄絶な最後が描かれています。ドラマでは個人的な恨みから、「関羽を生け捕りにせよ」という孫権の命令を無視して関羽を殺害。その首を持って凱旋するも、病気で急死(=実際は軍令違反への処罰として毒殺されたことが示唆)という、実にあっけない最後を迎えます。

ところで呂蒙に関してやはり言及が避けられないのはNHK人形劇における彼の扱い(右)です。人形劇は勧善懲悪的要素が色濃く、完全な悪役にされてしまいました。村人を人質にして関羽を惨殺するという極悪人として描かれ、関羽の愛馬の「赤兎」(せきと)によって主人の敵討ちをされるという最後になってます。この描写には放送当時から批判の声が相当上がったようです。実際は名将の1人であり、最近では史実に沿った正しい評価を受けるようになっていると思います。とは言え、ドラマでの最期を見ても分かるように、「平民の味方」の関羽を殺した人物ということで、中国では非難の対象になり続けているのかもしれません。

陸遜(りくそん)


呂蒙の死後、大都督となります。実はドラマは呂蒙と関羽が死ぬ辺りまでしか観てないため、彼の劇中での活躍はまだ良く分かりません。ただ、史実では222年に起きた蜀と呉の大戦「夷陵の戦い」(いりょうのたたかい:「官渡の戦い」「赤壁の戦い」と並ぶ天下分け目の戦いの1つに数えられる)で伝説的な火攻めにより蜀軍に大勝し、荊州全体を奪取したことが有名でしょう。


今回はこれまで。(人物紹介に終始してしまいましたw)

参照 : Episode6 ※動画無し